平成19年5月6日、午後0時38分
私の母親が搬送先の病院で亡くなりました。
生前のご親愛、誠に感謝すると共に、長男として、後を母の遺志を継ぎ、様々な事へと邁進する所存です。
何かとご迷惑をおかけすることがあるとは存じますが、ご指導、ご鞭撻いただけますよう、お願い申し上げます。
以下mixiに書いた日記コピペ。
母親が亡くなったのに、mixiとかやっちゃって、バカじゃないの?
と言われそうだけれども、正直みんなのコメントがなかったら壁とかドアとか殴ったり蹴ったりしてそうだ。
俺が正気を保ってられるのはみんなのおかげだと思います。
一方的に話をしてるだけだけどさ、やっぱりどこか思いをぶちまけられる場所ってあるといい。
これから葬儀場行ってきます。
母親の話をさせてくれ。
俺、子どもの頃、母親のことを「ママ」って呼んでたんだよ。
中学、高校とあがるにつれ、恥ずかしさが先行してさ、
呼び名が「おばさん」か「おばん」になった。
一度として、「お母さん」って呼んであげられなかった。
どこで呼んだって、霊安室だ。
最初で最後の「お母さん」。
もう応えてくれる人はいないんだぜ?
俺が、「死ぬのが怖い」って一時期毎晩トイレにこもって泣いてた時、「大丈夫、大輔は何回生まれ変わっても、私の息子だよ。」って、言ってくれたお母さんは、気が早いかな、もう先に生まれ変わろうと旅立ってしまった。
初給料で何か買ってあげるとか、ゆっくり酒を飲み交わすとか、教壇に立って子どもたちと一緒に勉強を頑張っている姿・話とか、何にもできなかった。
何一つ恩返しらしい恩返しをする事もなく、迷惑ばっかり掛けていた俺。
今だって、掛けて「いる」って書いてしまった。
もう過去形だってこと、認めたくないんだ。
今だって、もしかしたら普通に帰ってくるかもしれないとか、思っちゃってるんだ。
遺体みて、鬱血した遺体を見て、死後硬直した遺体をみて、それでもなお、帰ってくるとか思ってるとか、どんだけゆとり教育の産物だよ。俺。
「大丈夫、大輔は何回生まれ変わっても、私の息子だよ。」
そうだよ。俺は何回生まれ変わっても、あんたの息子だ。
だから、母さんも安心して待ってろよ?
いや、安心できないかもしれないけどさ。
きっと、手のかからない息子として、親孝行な息子として、またあなたの子どもとして生まれてきます。
ありがとう。
そして
また会おうな。
俺の大好きな、これは過去形ではなく、今でも大好きな、母親は、きっと俺のこと見てるから、泣くのはこれでやめだ。
うし。
行ってくる。
「立って歩け
前へ進め
あんたには、立派な足がついてるじゃないか」
なんだぜ?