この問いは面白いですね。
Clearが思うに、勉強することの理由ってのは、自分のすそ野を広げるためだと思います。
ファミコン本体だけ持ってても楽しくないんですよ。ソフトがないと。
RPGが好きな人もいれば、スポーツが好きな人もいます。
立派な頭を持っているだけでは面白くないんです。
算数が好きになる子もいれば、英語が好きになる子もいます。
だから、小学校・中学校でやる教育というのはすべての人にまんべんなくその可能性の芽を与えてやらなきゃいけないと思います。
逆に言うと、「先生、私はそれを勉強する意味があるんですか?」って思わせない教育を与える必要があります。
もしもClearが「勉強する意味って何?」って聞かれたら次のように答えます。
小学生:
「りんごが好きな人がいれば、イチゴが好きな人もいるよね。勉強も、何が好きかはみんなによって違うし、それでいいんだよ。でもね、何が好きか、何が嫌いかっていうのは、全部のことを少しずつ知らないとわからないよね。お肉だけ食べている人が、本当はお魚もおいしいんだ!って気づくためには、お魚も食べてみないとわからないよね?だからみんなでいろんな勉強をするんだよ。」
中学生:
「教科の好き嫌いはあって当然、嫌いな教科っていうのはだれしも必ずあるものです。でも、そんな中でも、「これだったらやってもいいけどさ」っていう教科、ない?これだったらやってもいいっていうのは、嫌いな教科がわかって初めて使える言葉だよね。だから、今は全部の教科をまんべんなく学習して、全体像をつかんで、自分の向き不向きを検討する段階なんだよ。もしかしたら新しい好きな教科が見つかるかもしれないからね。」
その中で、生活に必要な知識を入れていくのは教師の腕の見せ所です。
歴史を学んで何になるのか。年号を覚えて何になるのか。
何にもならない人だっています。でも一方で身になった人もいます。
そういった差異を考慮しながら、最大公約数、もしくは公倍数的な授業を考えて展開するのが
学校の先生ってやつであって、一般の人とは違うところだと思います。
あ、全部ソースはClearでw